新しいレポート書きました。
実質含意・厳密含意のパラドクスは、条件文の論理学的真理値設定が誤っていることの証左である
http://miya.aki.gs/miya/miya_report33.pdf
本稿は、拙著、
条件文「AならばB」は命題ではない? ~ 論理学における条件法の真理値設定の問題点
http://miya.aki.gs/miya/miya_report32.pdf
の続編として、条件文の真理値についてさらに詳細に論じるものである。
実質含意のパラドクス・厳密含意のパラドクス、あるいはそれに伴う(池田氏の言われるような)“違和感”は、条件文における論理学的真理値設定、とくに前件が偽ならば後件が真でも偽でも全体として真となってしまう設定それ自体に誤りがあることからもたらされている部分があるのではないだろうか。
本稿では1~3章でいくつかの具体的事例を挙げた上で、条件文の真理値は(とくに前件が偽の場合)異なった値をとりうること、そして論理学的真理値設定に普遍性を見出すことはできないことを示し、4章以降(3章でも命題を引用している)では池田真治著「哲学演習「論理学入門」補論」(2016年)を参考にしながら、実質含意、厳密含意、伴立について分析し、条件文の真理値についてより詳細に考察してみたい。
そして「哲学演習「論理学入門」補論」を無償で公開してくださっている池田氏に謝意を示したい。
<目次>
1.ダメットの言う「条件付き賭と真理関数的条件法を当てにする賭」は真偽関係ではない (2ページ)
2.包含関係における真理値(3ページ)
3.因果的「ならば」の場合(4ページ)
4.論理学的真理値設定は具体的事実によって支持されていない(5ページ)
5.関連性・伴立に関する誤解(7ページ)
6.結局、具体的事例をもって個別に考えるしかないのでは(10ページ)
<引用・参考文献>(11ページ)