2020年8月11日火曜日

ヒューム『人性論』分析:経験論における「経験」の位置づけについて

ヒューム『人性論』分析:経験論における「経験」の位置づけについてhttp://miya.aki.gs/miya/miya_report31.pdf

・・・ヒューム著、土岐邦夫・小西嘉四郎訳『人性論』(中央公論社)分析の続編です。ヒューム理論における「経験」の位置づけ、「経験⇒原理⇒観念」という分析フォーマットの問題点を指摘するものです。経験がいかに知識や関係(の観念)をもたらすのかではなく、知識や関係そのものがいかに経験として現れているのかを示すことが経験論なのであって、それらをもたらす「原理」「原因」を問うたところで、一元的な回答を得ることなどできないのです。

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 本稿は、ヒューム著、土岐邦夫・小西嘉四郎訳『人性論』(中央公論社)第一篇分析、主に「経験」というものの位置づけを取り扱うものである。

 『人性論』第一篇において「経験論」という用語が用いられているわけではない。そしてヒューム自身「経験」という言葉をそれほど厳密に定義しようとしているわけでもないように思える。しかし、その無自覚が分析のブレを生んでしまっているようにも思えるのだ。

 経験論と合理論の論争において、「知識は経験によってのみもたらされるのか」という問いは重要な位置を占めていると思う。「生得(、、)観念(、、)がなにかあるのか」(ヒューム、16ページ)、そういった問いも考慮した上で(そしてそれを否定するためもあって)ヒュームは理論を構築している。

 しかし、実のところこれは的外れな議論なのではないか。そもそも「知識」とは何なのか? 知識そのものが「経験」として現れているものなのではないのか?

経験として実際に、具体的に現れているものはすべて経験である。当たり前の話だ。数学の答えを探し、ついに答えにたどり着く過程、現在の状況を把握した上でこれから何が起こるのか推測する過程、そこに飛んでいる鳥を見て「あれは鴨かな?」と思う過程、それらすべてが「経験」なのである。

経験から知識がもたらされる、というのではなく、知識そのものが経験なのである。知識そのものが経験として現れている。

一方、そこに「原理」というものは具体的知覚として現れてはいない。「原理」というものは因果関係に基づくもの、ある現象・ある認識をもたらす仕組みというものを因果的に示そうとするものである。しかも一元的説明に陥ることでしばしば誤謬を生む。しかし、具体的経験として現れるのは知覚と知覚の継起(あるいはその繰り返し)でしかなく、「因果関係そのもの」の観念やら印象を探してもそこに見つかることはないのである。

 ところがヒュームの分析手法において、「経験⇒原理⇒特定の観念」という枠組みが常に付きまとっている。しかし、「原理」云々以前に、知識あるいは観念は私たちの経験として現れてしまっているのである(そして現れていないものは現れていないのである)。

 因果推論した事実、「空が曇ってきたからもうすぐ雨が降るだろう」と思った事実、これも経験であることに変わりはない。しかし「なぜ因果推論できたのか」という「原因」あるいは「原理」を探したところで、様々な説明が可能ではあるが、一元的因果的説明など出来ようもないのである(このあたりはレポート〔1〕や〔5〕でも論じている)。

 ヒュームは「原理」思考から脱することができなかった、そこがヒューム経験論の限界であったと思うのである。


目次 ※ ()内はページ

Ⅰ.「経験」とは何か (3)

1.『人性論』における経験の位置づけ

2.「経験」は「心」に現れるものではない

3.「きずな」「引力」があるから観念が結び合わされるのではなく。観念が結び合わさっている状況が具体的経験として現れている

Ⅱ.ヒュームは因果関係における「経験」の位置づけを見誤っている (6)

Ⅲ.ヒュームは推論の「正しさ」がいかにして確かめられるかということと、なぜ推論できるのか(因果推論できた「原因」)とを取り違えている (8)

1.因果推論を因果推論によって根拠づけようとしている

2.因果推論の「正しさ」の検証

3.経験論として因果関係・因果推論を説明するとは

Ⅳ.経験がいかに知識をもたらすかではなく、知識がいかに経験として現れているか、そこが問題 (12)



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