“ア・プリオリな悟性概念”の必然性をもたらすのは経験である ~『純粋理性批判』序文分析
http://miya.aki.gs/miya/miya_report20.pdf
・・・の付録として、緒言の分析も加えました。
<付録:『純粋理性批判』緒言分析>(26 ページ)
1.抽象観念におけるヒュームの見解
2.実質的に算術が経験により根拠づけられていることを示してしまっているの に「概念」「直観」「表象」という言葉を用いてそれを覆い隠そうとしている
3.「分析的判断」も「経験判断」である
4.因果関係に「X」はいらない
5.「純粋数学」「純粋自然科学」というものはどこにもない
・・・どう読んでも、カントの説明は算術が経験によって根拠づけられている「経験に頼って」判断されているということを明らかにしてしまっています。それについて指摘された書籍や論文はあるのでしょうか・・・?
また、経験=偶然、という決めつけも気になります。
純粋経験論とは、具体的経験の事実そのものから哲学を構築する試みのことです。哲学史の流れの中に位置づけるとすれば、ヒューム・ジェイムズ・(最初期の)西田幾多郎の系列、そして彼らの「経験論」を究極まで徹底させようとするものです。 ホームページはこちら⇒ http://miya.aki.gs/mblog/
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