http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2013/49-2_02-01.pdf
・・・を最後まで読んだ。
ヴェーバーの場合,『客観性』ですでに,「文化科学的認識は,……自然事象の認識と全く同じ意味で,純然たる因果認識である」と述べられていることから分かるように(OE.,s.189, 96頁),因果連関は因果連関である限り,自然科学も歴史科学も同じだと考えている。この点でリッカートとヴェーバーは,実はその因果性論の探求方向において大きく異なっているのである。(佐藤氏、14ページ)
ヴェーバーは社会科学認識の客観性の根拠を,論理整合性でもなく価値関係の普遍性や客観性でもなく事実認識の客観性すなわち実在世界の因果認識の客観性に求めている。(佐藤氏、17ページ)・・・このように自然科学と社会科学との共通性を強調しておきながら、自然科学とは異なる因果認識を求めようとしているのは、どういうことなのだろうか、という話なのだ。
要するに、ヴェーバーの「因果関係」および「法則」認識に誤りがある、ということなのだ。
そして、
ここであらためて論ずる必要のない特定の意味で「主観的」であるのは,決して与えられた解明の「対象」における歴史的「諸原因」の確証ではない。「主観的」なのは,歴史的「対象」の,すなわち「個体」そのものの区割である。何故なら対象を区劃する場合,それを決定するのは価値諸関係であり,価値諸関係による「把握」は歴史的な変化に服するからである。(佐藤氏、17ページ)・・・とあるものの、選ばれた対象と「価値」なるものとの間に具体的関連を見出すことができるのか、さらに言えば、そこに「価値」というものをいかに見出すことができるのか、ということなのである。また「目的」と「価値」とを混同してはならない。「目的」とは想定された具体的事象・現象のことである。”価値関係”という具体的事象はない、やはり”事実関係”なのである。
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ヴェーバーが「因果」というものをどのように認識していたかについては、佐藤氏の「M.ヴェーバーの現実科学と因果性論(中)」論文でより詳細に説明がなされている。このあたりは『客観性』論文に記されていない部分でもあるので非常に興味深い。
また、(上)論文において、「現実性は因果性と同義」(佐藤氏、9ページ)とあるが、これについては(中)論文でより詳しく扱われているので後日検証したい。ただ、ヴェーバーが、
①実在物かそうでないかは因果的に分類されるということ
②因果性そのものが実在性の”基準”であるという見解
①と②との違いを混同していないか、ということは気になるので、そのあたりじっくり確かめてみようと思う。
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佐藤氏の一連の論文を読んだ上で社会科学における「質的研究」の位置づけは何なのか、という問題について論じるレポートとしてまとめられたらと思う。
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