http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2013/49-2_02-01.pdf
・・・を読んでいるのだが、やはり佐藤氏の「法則」理解が定まっていない印象を受ける。
無限に多様な現実から恒常的関係を抽出する「法則科学」(佐藤氏、6ページ)
概念における普遍性と非現実的なものを追及するのか,それとも,特殊的なものならびに個別的なもののうちに現実を追及するのか(佐藤氏、7ページ:リッカートからの引用)・・・「法則」とは現実なのか非現実なのか? 現実から恒常的関係を抽出したからといって、それはやはり現実である。現実的出来事の繰り返しに他ならない。このあたり佐藤氏はあまり気に留められていないようである。
また、「現実」とは特殊的と述べられているが、
リッカートは、「現実」とは経験における直接的な直感内容のことであり,それは無限の見通しがたい多様性の相でとらえられる(佐藤氏、7ページ:リッカートからの引用)・・・現実は、「特殊的」なのか、「多様性」なのか、このあたりの(リッカートの)ブレに関しても佐藤氏は全く無頓着である。
とにもかくにも、一回性の出来事の記述は、単なる”出来事の経緯の記述”あるいは因果推論・仮説構築以上のものではない。そもそもが、一回性の出来事で客観的に妥当な因果関係が導き出せるのであれば、法則など必要ないではないか。
因果性は,あらゆる認識対象に根源的なカント的な意味での先験的「カテゴリー」であり(佐藤氏、10ページ)・・・と一方的に宣言したところで、「個性的一回的な質的特性を記述する科学」(佐藤氏、6ページ)に科学的客観性が自動的に付与されるわけではない。
(一応念をおしておくが、因果仮説レベルの理論と高い再現性を有する法則的理解の区別は、その情報の重要性とは別問題である。それが因果推論レベルであれ法則レベルであれ、その情報を必要とする人にとって、必要なものはやはり必要なものなのである。)
佐藤氏の見解にはいろいろ問題点を見いだせるので、とりあえず最後まで読んで具体的に指摘していきたい。
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