『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』第Ⅱ部の批判的分析
~意義・価値理念と事実関係、法則と個性的因果連関、直接に与えられた実在と抽象に関するヴェーバーの誤解
http://miya.aki.gs/miya/miya_report23.pdf
・・・で、社会科学は「試行錯誤的因果関係構築プロセス」「試行錯誤的な帰納・演繹プロセス」を避けられない (36ページ~)と説明したのだが、結局のところ、現実の分析⇒仮説モデルの形成⇒さらなる現実の分析⇒仮説モデルの修正(あるいは否定・新たなモデルの形成)⇒さらなる現実の分析、というプロセスがずっと続いていくわけである。
このプロセスは多くの研究者たちにより担われている。ある人が考えた仮説モデルを他の人が現状分析をもとに修正(あるいは否定・更新)していく。もちろん私たちが住むこの世界もどんどん変化していく。
・・・で、AIが発達すれば、新たなデータを取り込みながら仮説モデルを自ら更新・修正していく、動的な仮説モデルというものが作られていくのだろう。実際もうそういうものが特定の分野では出来ているのかもしれない。大勢の研究者たちが知見を受け継ぎながら長い時間かけてしてきたプロセスをコンピュータが一台でしてしまう、そういう話になって来るかもしれない。
社会システム論で言う、自己再帰的なプロセスというものは、具体的分析においては結局そういうことになってしまうのではなかろうか(結局は「意味」ではなく具体的事実の連関)。具体的事象の分析にはパラドクスなどどこにもない(ルーマンのゴタクも分析が洗練されればそぎ落とされていくのだと思う)。ただ仮説モデルに基づき将来を予測し、その結果をもとに仮説モデルを修正する・・・そういったプロセスはAIがあろうとなかろうと、人間が生きている限り続くものなのである。
ただ、コンピュータが獲得できるデータがどこにまで及ぶのかという問題もあるし、そのシステムを最初に作るのは人間、それを監視するのもとりあえず人間である。ただ将来はどのようになるのか分からない。あまり面白いものではなさそうだが・・・
・・・とりあえず今日は想像上のお話でした。
純粋経験論とは、具体的経験の事実そのものから哲学を構築する試みのことです。哲学史の流れの中に位置づけるとすれば、ヒューム・ジェイムズ・(最初期の)西田幾多郎の系列、そして彼らの「経験論」を究極まで徹底させようとするものです。 ホームページはこちら⇒ http://miya.aki.gs/mblog/
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