ヒューム『人性論』を解読する
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-hume-enquiry-human-understanding/
・・・は、かなり竹田現象学に引き寄せて解釈されている印象だ。
1.観念論・現象学と経験論との違い
経験論は、方法的態度については観念論にかなり近い。(平原氏:ブログ記事の著者)・・・経験論と観念論とは根本的に違う。
私たちの意識が到達できない領域を前提することなく、ただ私たちの意識に与えられているものだけを探究することで、認識の構造を取り出そうとする。これは根本的な形而上学批判だ。(平原氏)・・・しかし実際には観念論・現象学ともに「経験を可能にするアプリオリな諸条件」(谷徹氏「現象学と経験の不可能性の条件」『フッサール研究』創刊号、2003年、63~84ページより)を探ろうとするものである。つまり観念論は、経験として現れていないものを前提と(して経験を説明しようと)する方法論である。経験論はそういった前提を一切排除しようとする方法論である。(後で説明するが)経験は”諸条件”などおかまいなしに既に現れているものであって、その諸条件など後付けの辻褄合わせでしかないのである。
観念論や現象学:我あり(エゴ・スム)、あるいは思うところの我あり(スム・コギタンス)ということが疑いの余地なく語られうること(『デカルト的省察』フッサール著・浜渦辰二訳、岩波書店、50ページ)
経験論:経験として現れるのは知覚であり我ではない
・・・要するに、観念論・現象学は「我」(現象学では作用という言葉でごまかしたり「原自我」を”論理的”に導こうとしたりしている)が残る、としているが、経験論ではあくまで経験(ヒュームにおいては知覚)が残る、としている。そこが最も重要な違いだと思う。(ただヒュームやジェイムズでさえ、その見解が徹底されているとは言い難い部分はあるのだが)
我、あるいは思うところの我、など経験としてどこにも現れていない。認識するためには主体がなければならないという因果推論をエポケーできるかできないか、そこが一番のキモではなかろうか。
※ もっとも、ヒュームにおいても「精神」や「心」というものが前提とされた議論がなされているのであって、上記の説明はあくまで”私なりの解釈”ではないかという指摘があるかもしれないが。
2.因果関係に関する誤解
因果関係がアプリオリではないということは、いったいどういうことなのか、理解できている哲学者(の著作)にまだ出会ったことがない。(ぜひ私の文章を読んでほしいのだが・・・)ヒューム自身にもブレがある。
だが、ここで「しょせん真の原因などありはしない」と言うだけでは十分ではない。その言い方では、「知覚に原因があるはずだ」と思ってしまうこと自体の理由を説明できないからだ。(平原氏)
「真の原因」は存在しない。にもかかわらず原因があると考えてしまうのはなぜだろうか?(平原氏)・・・このあたりはヒューム自身もブレているので、平原氏がこう説明するのももっともであろう。
ただ、平原氏の説明も不正確というか誤解を生む。「真の原因」が存在しない、と言っているのではない。そもそもヒュームは因果関係を否定してはいない。因果関係をもたらす「力」「作用」そういったものがない、と言っているのである。事象と事象(印象や観念)どうしを結びつける「力」「作用」「働き」そういったものがどこにもない、と言っているのである。
知覚の向こう側に因果関係を求めようとすれば、それは失敗に終わらざるをえない。(平原氏)・・・これは違う。
観念論や現象学は、経験がいかに成立しているかを説明してしまっている(つまり因果関係が経験の前提とされてしまっている)。そうではない。経験は既に成立してしまっているのである。因果関係とは、それらの経験を結びつけることで事後的に見出されるものなのである。つまり知覚がなぜ生じたのかと問うことは可能であるし(実際そうしているし)、それを因果関係で説明することも可能なのである。恒常的相伴により客観性を付与できるかどうかはまた別の話であるが。
要するに、
因果関係⇒経験、ではなく、
経験⇒因果関係、ということなのである。
3.本質・認識・構造・・・?
印象は大きさや形などのありありと与えられる知覚であり、観念は意味や本質として与えられる知覚である(平原氏)・・・ヒュームは観念を「本質」とは説明していない。「本質」という言葉は誤解を招く表現である。
私個人の意見としては、「構造」「本質」「欲望」「本能」「理性」という言葉を哲学・社会科学・人文学から排除すれば、より正確な事実分析ができると思っているのだが。
そして認識とはいったい何なのか・・・「構造」を正当化するために、いったい何を示しているのか明確でないまま様々な用語を作り出すのも観念論や現象学の特徴である。
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