大森荘蔵関連の論文はまだ2本しか読んでいないのだが・・・今のところの印象としては、彼の一元論は経験論として示される”事実”としての主客未分とは言えないような気がしている。どうしても論理が先に来てしまう、仮に彼が経験主義の立場であると言われているとしても、それは経験論とは違うのではないか・・・そういう気がしてしまうのである。
そのうち彼の本を読んで検証してみたい。
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ヴェーバーの『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』を久しぶりに読もうと思ったら・・・なくしていることに気づいてしまった。どうしよう・・・しばらく探してみてからどうするか考えよう。
大澤真幸氏の『社会学史』を近くの書店で見つけてついつい買ってしまったのだが・・・序章を読んで、モヤモヤしてしまった。根拠の薄弱な断定が多い・・・どうしても、本当にそうなのか? そうでない事例も挙げられるのではないか・・・という疑念が拭えないのである。
最後まで読み切る自信がないが・・・気が向いたときに少しづつ読み進めてみる。
「意味的理解」「機能的理解」について、もっと慎重になる必要があるのではなかろうか。「意味」とは何か、「動機」「意志」「意図」とは何か、さらには因果関係とは何か・・・
純粋経験論とは、具体的経験の事実そのものから哲学を構築する試みのことです。哲学史の流れの中に位置づけるとすれば、ヒューム・ジェイムズ・(最初期の)西田幾多郎の系列、そして彼らの「経験論」を究極まで徹底させようとするものです。 ホームページはこちら⇒ http://miya.aki.gs/mblog/
2019年6月24日月曜日
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