大森荘蔵関連の論文はまだ2本しか読んでいないのだが・・・今のところの印象としては、彼の一元論は経験論として示される”事実”としての主客未分とは言えないような気がしている。どうしても論理が先に来てしまう、仮に彼が経験主義の立場であると言われているとしても、それは経験論とは違うのではないか・・・そういう気がしてしまうのである。
そのうち彼の本を読んで検証してみたい。
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ヴェーバーの『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』を久しぶりに読もうと思ったら・・・なくしていることに気づいてしまった。どうしよう・・・しばらく探してみてからどうするか考えよう。
大澤真幸氏の『社会学史』を近くの書店で見つけてついつい買ってしまったのだが・・・序章を読んで、モヤモヤしてしまった。根拠の薄弱な断定が多い・・・どうしても、本当にそうなのか? そうでない事例も挙げられるのではないか・・・という疑念が拭えないのである。
最後まで読み切る自信がないが・・・気が向いたときに少しづつ読み進めてみる。
「意味的理解」「機能的理解」について、もっと慎重になる必要があるのではなかろうか。「意味」とは何か、「動機」「意志」「意図」とは何か、さらには因果関係とは何か・・・
2019年6月24日月曜日
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心像も言葉の意味たりうる
Mick's Page https://mickindex.sakura.ne.jp/index.html にある、 心理主義批判――言葉の意味は心的イメージではない https://mickindex.sakura.ne.jp/wittgenstein/witt_oth...

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小口峰樹著「知覚は矛盾を許容するか?」『Citation Contemporary and Applied Philosophy (2014)』5、1016~1032ページ https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstr...
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「純粋経験の世界」まだ検証中です。いろいろつっこみたい所はあるのだけど、ジェイムズの説明内容をまだきちんとイメージできていない部分もあるので、じっくり取り組んでいきます。 今日、岩波文庫の『プラグマティズム』を買いました。 ジェイムズは「根本的経験論」とプラグマティズムとは論理的...
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